翻訳の自由

2年前の青空文庫のブログ(1月1日)に法学者山田三良の「翻訳自由論」というものが紹介されていた。山田は戦前にベルヌ条約を批判して、東洋と西洋のような言語が大きく異なる国の間では、翻訳を自由にする(著作権保護の対象外にする)ことを主張していたらしい。

この文章にちょっと間違いがあって(こっちにも同じ内容の文章があるけど)、山田が万国著作権会議に出席したのはフランス留学中の1900年だけど、山田の翻訳自由論が書かれた論文「学芸協力と翻訳権問題」(『国家学会雑誌』)は1938年でだいぶ時期が違う。この間に山田は東大教授、京城帝国大学総長を歴任しており偉い人になっている。

日本が著作権として翻訳権を保護するようになったのは1899年のベルヌ条約加盟と1900年の著作権法制定に始まるのだが、その頃からずっと山田は翻訳の自由を主張していた。

1938年というと日本は日中戦争をやっていて世界的に大変なことになっており、いろいろ変なことが起こっていた。著作権絡みでいうと30年代の日本では「プラーゲ旋風」という事件が起こっていたが、著作権研究家の伊藤信男によればプラーゲ旋風への対策として翻訳自由論とベルヌ条約脱退論が台頭してきた。

 現在では考えられないことかも知れませんが、文化人・有識者の間から、こういう論議が生じてきたことも、当時の情勢下においては、あえて異とするに足りないように、当時の空気を吸ってきた私には思われるのです。*1

 この本で伊藤は触れていないのだが、他人事みたいに語っている伊藤自身も翻訳自由論を主張していた。伊藤はもともと内務省の官僚で、1935年から39年まで警保局図書課で著作権行政をやっているうちに著作権オタクになったらしい。伊藤の翻訳自由論は「翻訳自由の理論と実際」(『日本法学』5巻5,6,8号,1939年)という論文に書かれている。これを読むと「当時の空気」というか総力戦体制下でキマってしまった人の姿が見えてくる。

山田の翻訳自由論もこういう時代背景の中で影響力を持つようになったらしい。

というような話というか、戦前の翻訳権に関する議論に関していろいろ史料を集めていたのでやる気があったらこういう感じでグダグダ書いていこうと思います。

 

・日本の翻訳権史についての主な文献

山田・伊藤の前掲文献

大家重夫『ニッポン著作権物語 プラーゲ博士の摘発録』(出版開発社、1981 年)

国塩耕一郎「翻訳権に関する史的考察」(『警察研究』9巻6,7,9号、1938年)

作花文雄「Q&A 翻訳権をめぐる著作権制度の歴史」(『コピライト』39(459), 1999年)

著作権法百年史編纂委員会編著『著作権法百年史』(著作権情報センター、2000 年)

中村元哉「近現代東アジアの外国語書籍をめぐる国際関係 -中国を中心に-」(『中国: 社会と文化』22号, 2007年)

宮田昇『翻訳権の戦後史』(みすず書房、1999 年)

 

*1:伊藤信男『著作権事件 100 話―側面からみた著作権発達史』(著作権資料協会、1976年)、139頁